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中央線の西側のこと

中央線の西側のこと

中央線というのは、東京都の東西を貫くように走るJRの路線だ。東京駅を起点に高尾方面へと続いている。 そのなかでも特に新宿から西のエリア、中野、高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、西荻窪、吉祥寺付近は「中央線文化圏」と呼ばれることもあり、どこか共通する空気がある。新宿や渋谷、銀座といった東京の中心部ほどギラギラしたところはないけれど、郊外のように静まり返っているわけでもない。人の多さと緩さ、文化の匂いと生活感が、ちょうど良く混ざっている。 共通した空気を持ちながらも同時に駅ごとに特徴があって、それを感じながら歩き、そして写真を撮るのも楽しい。 私はこの沿線に住み始めてちょうど5年になる。初めて訪れた街というのは刺激的でストリートフォトを撮るのにも良い条件であるけれど、同じ場所に何度も訪れることによって見えてくるものもまた有る。 「中央線の西側」は私にとっては何度も訪れた街の集合体として意味を成し始めた。 このブログでもそれぞれの街について少しずつ書いていこうと思う。もちろん写真と共に。

中央線の西側のこと

中央線というのは、東京都の東西を貫くように走るJRの路線だ。東京駅を起点に高尾方面へと続いている。 そのなかでも特に新宿から西のエリア、中野、高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、西荻窪、吉祥寺付近は「中央線文化圏」と呼ばれることもあり、どこか共通する空気がある。新宿や渋谷、銀座といった東京の中心部ほどギラギラしたところはないけれど、郊外のように静まり返っているわけでもない。人の多さと緩さ、文化の匂いと生活感が、ちょうど良く混ざっている。 共通した空気を持ちながらも同時に駅ごとに特徴があって、それを感じながら歩き、そして写真を撮るのも楽しい。 私はこの沿線に住み始めてちょうど5年になる。初めて訪れた街というのは刺激的でストリートフォトを撮るのにも良い条件であるけれど、同じ場所に何度も訪れることによって見えてくるものもまた有る。 「中央線の西側」は私にとっては何度も訪れた街の集合体として意味を成し始めた。 このブログでもそれぞれの街について少しずつ書いていこうと思う。もちろん写真と共に。

ストリートスナップの始め方|なぜ難しいと感じるのか?

ストリートスナップの始め方|なぜ難しいと感じるのか?

「ストリートフォトは難しい」と言われることがあります。もちろんカメラを持って街に出れば、誰でもスナップは撮れるのですが、しかし「ストリートフォト」と呼べるような写真を撮ることが難しいと感じている人は少なくないでしょう。私は基本的に「ストリートフォトっぽい」写真である必要はなく、街に出て自分の心に留まったものを撮りたいように撮ればそれは「ストリートフォト」以外の何ものでもないと考えています。しかし、そうは言っても、何かコツのようなものがあったら、という期待もあるかと思いますので少し書いてみましょう。 まず、重要なのは「何を撮るか」です。あなたが街をどのように見ているのかが写真には表れます。世の中で「美しいとされているもの」だけではなく「その人だけが感じることのできる美しさ」が街にはあるかもしれません。もちろん「美しさ」にとらわれる必要もありません。「美しさ」を感じているわけではないし、なぜそれに目が留まったのか自分自身でもわからないということもあるでしょう。だからこそ写真に撮っておくのだとも言えます。 「何を撮るか」が決まれば、あとは「どう撮るか」です。構図を様々に分類して考えるような人もいますが、私はもっとシンプルに考えれば良いと思います。 「どう撮るか」というのはつまり「何を写して何を写さないか」を決めることです。例えば「百合の花」に目が留まったとしましょう。あなたのいる場所からそれを撮ると百合の背景の池の様子も写ります。「百合の花」だけを撮りたいと思えばどうしたら池の様子が写らないかを考えれば良いでしょう。逆に最初は「百合の花」に目が留まったと思っていたけれど実は「池を背景に咲く百合の花」に惹かれていたのだと気がつくこともあるでしょう。 では池の対岸にぼんやりと見える木々の様子はどうか、百合の花には葉も含まれるのか、そういう取捨選択が「どう撮るか」ということなのです。 もしかすると難しさを感じるのはストリートフォトがあまりにも自由であるからかもしれません。「何を撮るか」も「どう撮るか」も全てを自由に決められることに「取っ掛かりの無さ」のようなものを感じるというのは想像できます。 もう一つ想像されるのは、多くの人が目に留める瞬間や構図、所謂「決定的瞬間」と呼ばれるものが撮りたいという気持ちかもしれません。初めからそれを求めればそれは確かに難しいかもしれませんが、それに関して私が言えることがあるとすれば、少なくともそれが「ストリートフォト」の正解だなどとは考えないほうが良いということです。 「ストリートフォトは難しい?」というこの文章のタイトルに私はこう答えます。「ストリートフォトのように簡単で魅力的なものは他にはなかなかないと思う」と。街に出てシャッターを切ってみてください。きっとそれを「取っ掛かり」にあなたの世界が見えてくるはずです。

ストリートスナップの始め方|なぜ難しいと感じるのか?

「ストリートフォトは難しい」と言われることがあります。もちろんカメラを持って街に出れば、誰でもスナップは撮れるのですが、しかし「ストリートフォト」と呼べるような写真を撮ることが難しいと感じている人は少なくないでしょう。私は基本的に「ストリートフォトっぽい」写真である必要はなく、街に出て自分の心に留まったものを撮りたいように撮ればそれは「ストリートフォト」以外の何ものでもないと考えています。しかし、そうは言っても、何かコツのようなものがあったら、という期待もあるかと思いますので少し書いてみましょう。 まず、重要なのは「何を撮るか」です。あなたが街をどのように見ているのかが写真には表れます。世の中で「美しいとされているもの」だけではなく「その人だけが感じることのできる美しさ」が街にはあるかもしれません。もちろん「美しさ」にとらわれる必要もありません。「美しさ」を感じているわけではないし、なぜそれに目が留まったのか自分自身でもわからないということもあるでしょう。だからこそ写真に撮っておくのだとも言えます。 「何を撮るか」が決まれば、あとは「どう撮るか」です。構図を様々に分類して考えるような人もいますが、私はもっとシンプルに考えれば良いと思います。 「どう撮るか」というのはつまり「何を写して何を写さないか」を決めることです。例えば「百合の花」に目が留まったとしましょう。あなたのいる場所からそれを撮ると百合の背景の池の様子も写ります。「百合の花」だけを撮りたいと思えばどうしたら池の様子が写らないかを考えれば良いでしょう。逆に最初は「百合の花」に目が留まったと思っていたけれど実は「池を背景に咲く百合の花」に惹かれていたのだと気がつくこともあるでしょう。 では池の対岸にぼんやりと見える木々の様子はどうか、百合の花には葉も含まれるのか、そういう取捨選択が「どう撮るか」ということなのです。 もしかすると難しさを感じるのはストリートフォトがあまりにも自由であるからかもしれません。「何を撮るか」も「どう撮るか」も全てを自由に決められることに「取っ掛かりの無さ」のようなものを感じるというのは想像できます。 もう一つ想像されるのは、多くの人が目に留める瞬間や構図、所謂「決定的瞬間」と呼ばれるものが撮りたいという気持ちかもしれません。初めからそれを求めればそれは確かに難しいかもしれませんが、それに関して私が言えることがあるとすれば、少なくともそれが「ストリートフォト」の正解だなどとは考えないほうが良いということです。 「ストリートフォトは難しい?」というこの文章のタイトルに私はこう答えます。「ストリートフォトのように簡単で魅力的なものは他にはなかなかないと思う」と。街に出てシャッターを切ってみてください。きっとそれを「取っ掛かり」にあなたの世界が見えてくるはずです。

渋谷のスクランブル交差点、顔をピッタリとつけて何かを話すカップルの後ろ姿

モノクロとカラー、どちらで撮るべきか?

その昔、アート写真といえばモノクロという時代があった。その後にはもちろんニューカラーの台頭があり、鮮烈な色彩を活かした素晴らしいストリートフォトが数多く撮られている。 森山大道の作品は、モノクロが多い。しかし、本人が公言しているが、デジタル移行後はカラーで撮影したものをモノクロ化して仕上げているし、カラーのまま発表しているものも少なくない。 白と黒だけで構成された写真は、街の不純物をそぎ落とし、物語性を浮かび上がらせやすいかもしれない。ある種の「写真らしさ」が、そこにはある。 一方、カラーにはカラーの強みがある。路上に放置された傘の赤、夕方の斜光で輝くビルのガラス、あるいはコンビニの袋にプリントされたロゴ。色があるからこそ写真になることがある。都市には無数の色が落ちている。白黒にすることで失われるリアリティもあるだろう。 結論を言えば、「どちらで撮るべきか」に正解はない。 「モノクロ」からも「カラー」からも自由であること、概念に縛られないことが重要なのだろうと私は思う。時にはモノクロを念頭に撮るのも良いし、あるいはメーカーのカラーフィルターに振り回されてみるのも良いだろう。 その上でモノクロを念頭に撮ったものを躊躇なくカラー作品にし、カラーフィルターに当てはめて撮ったものをモノクロ作品にしてしまう自由さが許されるのがストリートフォトなのだ。少なくとも私はそう考えている。 写真に正解はない。近道もない。自分がどれだけ自由で在れるか。そういうアプローチがストリートフォトには相応しいだろう。

モノクロとカラー、どちらで撮るべきか?

その昔、アート写真といえばモノクロという時代があった。その後にはもちろんニューカラーの台頭があり、鮮烈な色彩を活かした素晴らしいストリートフォトが数多く撮られている。 森山大道の作品は、モノクロが多い。しかし、本人が公言しているが、デジタル移行後はカラーで撮影したものをモノクロ化して仕上げているし、カラーのまま発表しているものも少なくない。 白と黒だけで構成された写真は、街の不純物をそぎ落とし、物語性を浮かび上がらせやすいかもしれない。ある種の「写真らしさ」が、そこにはある。 一方、カラーにはカラーの強みがある。路上に放置された傘の赤、夕方の斜光で輝くビルのガラス、あるいはコンビニの袋にプリントされたロゴ。色があるからこそ写真になることがある。都市には無数の色が落ちている。白黒にすることで失われるリアリティもあるだろう。 結論を言えば、「どちらで撮るべきか」に正解はない。 「モノクロ」からも「カラー」からも自由であること、概念に縛られないことが重要なのだろうと私は思う。時にはモノクロを念頭に撮るのも良いし、あるいはメーカーのカラーフィルターに振り回されてみるのも良いだろう。 その上でモノクロを念頭に撮ったものを躊躇なくカラー作品にし、カラーフィルターに当てはめて撮ったものをモノクロ作品にしてしまう自由さが許されるのがストリートフォトなのだ。少なくとも私はそう考えている。 写真に正解はない。近道もない。自分がどれだけ自由で在れるか。そういうアプローチがストリートフォトには相応しいだろう。

小さな少女とその母親らしき人物、右手には不思議な像、モノクロ写真

写真で語るということ

各Tシャツには、タイトルとその写真にまつわる短い文章が添えられています。詩や小説の一節、撮影地についての案内など、その内容はさまざまです。一般的なオンラインストアのような「商品説明文」とは一線を画しており、そうした“余白”も楽しんでいただければと思っています。 「写真家は写真で語る」と言われますが、私は優れた写真家は同時に優れた文筆家でもあると考えています。森山大道もその一人です。彼の人生や写真観について綴った文章は、詩的で情緒的でありながら、どこか突き放したようなドライさがあり、まさに彼の写真と共鳴しています。 多くの写真集で写真に添えられるテキストは「説明」ではなく、「音楽」のように機能しています。このストアのTシャツに添えられた文章もまた、そんな“BGM”として、写真にもう一つのレイヤーを加えるものになれば良いと考えています。

写真で語るということ

各Tシャツには、タイトルとその写真にまつわる短い文章が添えられています。詩や小説の一節、撮影地についての案内など、その内容はさまざまです。一般的なオンラインストアのような「商品説明文」とは一線を画しており、そうした“余白”も楽しんでいただければと思っています。 「写真家は写真で語る」と言われますが、私は優れた写真家は同時に優れた文筆家でもあると考えています。森山大道もその一人です。彼の人生や写真観について綴った文章は、詩的で情緒的でありながら、どこか突き放したようなドライさがあり、まさに彼の写真と共鳴しています。 多くの写真集で写真に添えられるテキストは「説明」ではなく、「音楽」のように機能しています。このストアのTシャツに添えられた文章もまた、そんな“BGM”として、写真にもう一つのレイヤーを加えるものになれば良いと考えています。

新宿のホテル街、モノクロ写真

「量のない質はない」

  写真家、森山大道(もりやま だいどう)をご存知でしょうか?ご存知の方も多いと思いますが、まずは彼の背景と作品について簡単にご紹介します。 森山大道は1938年、大阪に生まれました。1961年に東京へ移り、細江英公の助手を経て、1968年に初の写真集『日本劇場写真帖』を刊行。その独特なビジュアルスタイルで、一躍注目を集めました。 彼のスタイルを語るうえでよく使われる言葉に「アレ・ブレ・ボケ」があります。これは、代表作の一つ『写真よさようなら』に特に顕著です。 彼はこれまで150冊を超える写真集を出版し、現在もその影響力は衰えることがありません。2012年から13年にかけて開催されたテート・モダンでの「ウィリアム・クライン + 森山大道」展で国際的な評価も一気に高まりました。2019年には、写真界のノーベル賞とも言われるハッセルブラッド賞を受賞しています。 今もストリートに出て撮影を続け、新作を次々に発表しています。ユニクロや人気ストリートブランドとのコラボも手がけ、若い世代にもその名は広がりつつあります。 フィルム時代から彼が好んで使うのはコンパクトカメラです。デジタルに移行してからも、ニコンのCOOLPIXシリーズを使い続けていることで知られています。 私自身もある記事をきっかけに、彼が当時使っていたCOOLPIX S9500を購入しました。それまで使っていた一眼レフと比べて、直感的なスナップはとても新鮮で、撮影の頻度、撮る枚数は一気に増えていきました。 彼がよく語る言葉に「量のない質はない」があります。ストリートフォトにおいては、数多くのシャッターを切ることが何より重要だという考えです。私も10年以上撮り続けて、ようやくこの言葉の意味が少しわかってきたような気がしています。 このストアで販売しているTシャツにプリントされている写真も、すべてCOOLPIXシリーズ(S9500、S9400、S7000)で撮影したものです。正確には数えていませんが、これまでに撮った写真はおそらく数十万枚になっていると思います まだまだ途上ではありますが、その記録の一部を楽しんでいただけたら嬉しいです。

「量のない質はない」

  写真家、森山大道(もりやま だいどう)をご存知でしょうか?ご存知の方も多いと思いますが、まずは彼の背景と作品について簡単にご紹介します。 森山大道は1938年、大阪に生まれました。1961年に東京へ移り、細江英公の助手を経て、1968年に初の写真集『日本劇場写真帖』を刊行。その独特なビジュアルスタイルで、一躍注目を集めました。 彼のスタイルを語るうえでよく使われる言葉に「アレ・ブレ・ボケ」があります。これは、代表作の一つ『写真よさようなら』に特に顕著です。 彼はこれまで150冊を超える写真集を出版し、現在もその影響力は衰えることがありません。2012年から13年にかけて開催されたテート・モダンでの「ウィリアム・クライン + 森山大道」展で国際的な評価も一気に高まりました。2019年には、写真界のノーベル賞とも言われるハッセルブラッド賞を受賞しています。 今もストリートに出て撮影を続け、新作を次々に発表しています。ユニクロや人気ストリートブランドとのコラボも手がけ、若い世代にもその名は広がりつつあります。 フィルム時代から彼が好んで使うのはコンパクトカメラです。デジタルに移行してからも、ニコンのCOOLPIXシリーズを使い続けていることで知られています。 私自身もある記事をきっかけに、彼が当時使っていたCOOLPIX S9500を購入しました。それまで使っていた一眼レフと比べて、直感的なスナップはとても新鮮で、撮影の頻度、撮る枚数は一気に増えていきました。 彼がよく語る言葉に「量のない質はない」があります。ストリートフォトにおいては、数多くのシャッターを切ることが何より重要だという考えです。私も10年以上撮り続けて、ようやくこの言葉の意味が少しわかってきたような気がしています。 このストアで販売しているTシャツにプリントされている写真も、すべてCOOLPIXシリーズ(S9500、S9400、S7000)で撮影したものです。正確には数えていませんが、これまでに撮った写真はおそらく数十万枚になっていると思います まだまだ途上ではありますが、その記録の一部を楽しんでいただけたら嬉しいです。

ポップなカラオケ店の店頭、カラー写真

私が写真を始めた理由

写真を始めたきっかけ これから写真やカメラについて色々とブログをアップしていく予定ですが、まずは「私が写真を始めた理由」について簡単に話そうと思います。正直、役に立つ話ではないかもしれません。しかしこの広い世界の中で、何かしらの縁で、非常に細い糸を手繰ってここにたどり着いた訳ですから、せっかくですので少しお付き合いください。 最初のきっかけ 大学を卒業して、ごく普通の会社に就職してから8年ほど経った頃のことです。当時、Canon 5D Mark II の動画機能を使った“映画のような”映像作品が流行していました。「一生会社員を続ける人生は自分には無理だな」と漠然と感じていた私は、この流れを見て「これだ」と感じました。 初めての機材 カメラについてはまったくの素人でしたが、雑誌やネットを読み漁り、迷うことなくプロ仕様の機材を揃えました。今となっては懐かしい機材たちですが、当時購入したのは以下のような構成です: EOS 5D Mark III EF 16-35mm F2.8L II EF 70-200mm F2.8L IS II USM ZEISS Planar T* 1.4/50 5D Mark...

私が写真を始めた理由

写真を始めたきっかけ これから写真やカメラについて色々とブログをアップしていく予定ですが、まずは「私が写真を始めた理由」について簡単に話そうと思います。正直、役に立つ話ではないかもしれません。しかしこの広い世界の中で、何かしらの縁で、非常に細い糸を手繰ってここにたどり着いた訳ですから、せっかくですので少しお付き合いください。 最初のきっかけ 大学を卒業して、ごく普通の会社に就職してから8年ほど経った頃のことです。当時、Canon 5D Mark II の動画機能を使った“映画のような”映像作品が流行していました。「一生会社員を続ける人生は自分には無理だな」と漠然と感じていた私は、この流れを見て「これだ」と感じました。 初めての機材 カメラについてはまったくの素人でしたが、雑誌やネットを読み漁り、迷うことなくプロ仕様の機材を揃えました。今となっては懐かしい機材たちですが、当時購入したのは以下のような構成です: EOS 5D Mark III EF 16-35mm F2.8L II EF 70-200mm F2.8L IS II USM ZEISS Planar T* 1.4/50 5D Mark...