退屈な写真

退屈な写真

写真を始めたばかりの頃は、刺激的な場所に行く方が、面白い写真が撮れるような気がした。

歌舞伎町。
池袋の北口。
渋谷センター街。

人が多く、情報量も多い。
何かが起きそうな気配がある。

歩いているだけで“いかにも”な被写体が見つかるし、光景の変化も大きい。

写真を始めたばかりの頃に、そういった場所へ惹かれるのはごく自然なことだと思う。


しかし、今は静かな住宅街を歩いていることが多い。

特に刺激的な何かがあるわけではない。
観光名所でもないし、人通りも少ない。

なるべくたくさん撮るようにしているけれど、繁華街を歩いている時のようには枚数も増えない。

少し前の自分が見たら退屈な写真を撮っているなと感じるかもしれない。

実際のところ、今の私がみてもその写真は退屈だと言っていい。

少なくとも、派手なネオンの街並み、そこを行き交うインパクトの強い人物を撮ったような写真と比べれば、地味ではある。

鳥の声が聞こえるばかりの住宅街。
車の姿の少ない交差点。
壁際の雑草に紛れた小さな花。

写っているのはそんなものだ。
ただ、今はそれを撮っていることが自分にとって自然なことだと感じられる。

退屈な写真の方が優れている、という結論を導きたいわけではない。

派手な写真より静かな写真の方が深い。
刺激的な写真より退屈な写真の方が成熟している。
そういった考えはその逆の考えと同様に安直だと思う。

昔の自分が間違っていたわけではないし、今の私がそれを達観しているわけでもない。

ただ、その頃の自分と今の自分の反応するものが少し変わったというだけのことだ。

写真というのは、世界を撮っていて、同時にその時の自分を撮っているだろう。

同じ場所を歩いても、昨日と今日では撮るものが違う。
季節によっても変わるし、きっとその日の機嫌によっても変わっているだろう。

その時の自分が素直に、自然に反応することが多分、重要だ。
刺激的なものに反応する時もあれば、穏やかなものに反応するときもある。

どちらが上ということではない。
その時の気分に素直に寄り添うのが良いだろう。
そう、明日はふと歌舞伎町へ行きたくなるかもしれない。

そうやって自然でいることが写真を長く続けるコツだろう。
そして、それは写真にとって実はかなり重要だ。

 

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