渋谷のスクランブル交差点、顔をピッタリとつけて何かを話すカップルの後ろ姿

モノクロとカラー、どちらで撮るべきか?

その昔、アート写真といえばモノクロという時代があった。その後にはもちろんニューカラーの台頭があり、鮮烈な色彩を活かした素晴らしいストリートフォトが数多く撮られている。

森山大道の作品は、モノクロが多い。しかし、本人が公言しているが、デジタル移行後はカラーで撮影したものをモノクロ化して仕上げているし、カラーのまま発表しているものも少なくない。

白と黒だけで構成された写真は、街の不純物をそぎ落とし、物語性を浮かび上がらせやすいかもしれない。ある種の「写真らしさ」が、そこにはある。

一方、カラーにはカラーの強みがある。路上に放置された傘の赤、夕方の斜光で輝くビルのガラス、あるいはコンビニの袋にプリントされたロゴ。色があるからこそ写真になることがある。都市には無数の色が落ちている。白黒にすることで失われるリアリティもあるだろう。

結論を言えば、「どちらで撮るべきか」に正解はない。

「モノクロ」からも「カラー」からも自由であること、概念に縛られないことが重要なのだろうと私は思う。時にはモノクロを念頭に撮るのも良いし、あるいはメーカーのカラーフィルターに振り回されてみるのも良いだろう。

その上でモノクロを念頭に撮ったものを躊躇なくカラー作品にし、カラーフィルターに当てはめて撮ったものをモノクロ作品にしてしまう自由さが許されるのがストリートフォトなのだ。少なくとも私はそう考えている。

写真に正解はない。近道もない。自分がどれだけ自由で在れるか。そういうアプローチがストリートフォトには相応しいだろう。

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