曇りの日の写真

曇りの日の写真

仕事の撮影の日に曇っていると、「今日は曇ってしまいましたね」と言われることがある。
確かに、強い日差しが生むコントラスト、くっきりと伸びる影、明瞭に照らされた肌や建物の輪郭、それらは“写真らしさ”として端的に浮かび上がる。

けれど、曇った日には曇った日なりの魅力がある。
それは、太陽が雲に隠れたときにだけ現れる、やわらかな陰影の世界だ。

曇りの日は“世界最大のソフトボックスの下の世界”と言える。
被写体はフラットに照らされ、階調は繊細につながっていく。

晴れの日は“光の写真”を撮る日。
曇りの日は“空気の写真”を撮る日だ。

光が主張をやめた時、被写体そのものが前に出る。
たとえば、壁の質感、濡れたアスファルト、人の肌の柔らかさ。
そうした細部が、いつもより静かに、しかし確かに見えてくる。

曇り空の下では、光の方向が曖昧になる。
陰影は朧げとなり、被写体はフラットに並ぶ。
「好き嫌い」や「主観的なドラマ」が剥ぎ取られ、“そこにある現実”が、淡々と立ち上がる。

曇りの日の写真には、静けさが宿る。

白や黒はやさしく溶け、
街はグレースケールの海になる。
それは“被写体の集合体”ではなく、
“世界そのもの”を写すような感覚かもしれない。

「曇ってしまいましたね」と言われた時、僕は思う。
曇りの日にしか見えない世界があることを。

そして曇り空の下で、
柔らかな世界にカメラを向けてシャッターを切る。

 

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