動画を撮ろう

動画を撮ろう

実は、最初に一眼レフカメラを買ったのは、動画を撮ろうと思ったからだった。

「一眼ムービー」という言葉が盛んに使われていた頃、それをやってみようとCanon EOS 5D Mark IIIを購入した。

今でも時折、イベントやSNS用の動画を撮ることはあるけれど、写真に比べるとその頻度はかなり少ない。

それでも、たまに動画を撮るのもまた面白い。
同じ場所で、同じカメラを構えているのに、写真を撮る時とは違うものに目がいく。

写真を撮る時はやはり、「画になる瞬間」を探しているのだと思う。

人物がちょうど良い位置にいる。
光の下を通り過ぎる一瞬。
何かと何かが不意に重なるとき。
絡み合う複数の要素。

シャッターを切るという行為は、その「瞬間」を選び取ることだろう。

しかし、動画を撮る時には、その前後を含めた時間の流れを見ている。

画面を横切ろうとする人の動き。
規則性を伴って動く水面。
弧を描く指先。
風で揺れる木の影。

写真では切り捨てられる時間が、動画には残る。
すると、見ているもの自体が変わる。
写真では「形」として見えていたものが、動画では「変化」として見えてくる。

しかし同時に、動いていないものに時間があることにも気づく。
写真の中で止まって見える世界も、全て変化の中にある。

動画には、動画ならではの難しさがある。

カメラワーク。
編集のテンポ。
音の使い方。
前後のつながり。

写真とは違う技術が必要になる。

写真を撮る人が動画を撮る意味は、必ずしも動画が上手くなることだけではないと思う。
動画を撮ることで、写真で自分が何を切り捨てているのかが見えてくる。

写真は時間を止める。
正確を期すならば、流れ続ける時間の中から、ごく短い一点を切り出す。

動画を撮ると、その前後が少し戻ってくる。

すると写真を撮る時、今度は決定的な一瞬だけではなく、その前後を想像するようになる。
動いている途中の形に気づく。
その先の形が少し予測しやすくなる。
視点に時間がもたらす動きが加わる。

動画と写真は、別の表現として語られる。
それはその通りだろう。

けれど、同じカメラを使って、同じ世界を撮っている。
だから、普段写真ばかり撮っている人は、たまに動画を撮ってみるのも良いと思う。

上手く撮らなくていい。
作品にする必要もない。

ただ、いつも写真を撮っている街で、動画を回してみる。
そして、動いている世界を捉えたあとで、もう一度いつものようにファインダーを覗く。
その時、「写真を撮る」ということが、少しだけ違って感じられるかもしれない。

 

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