などと言うと、音楽評論のようかもしれないけれど、写真にも確かにグルーヴは存在していると思う。
そもそもグルーヴとは何だろうか。
音楽においてグルーヴという言葉は、リズムが正確であることを意味しない。
少し揺れていたり、わずかにズレていたりするのに、心地良く感じる。
そういうものがグルーヴと呼ばれる。
写真にも近い感覚がある。
例えば、ただ整っているだけの写真。
構図も露出も完璧で、水平もきっちり取れている。
情報は整理され、非常に“正しい”。
もちろん、それはそれで悪くない。
しかし、それはあまり記憶に残らなかったりする。
逆に、少し傾いていたり、わずかにブレていたり、余計とも言える情報が紛れている写真の方が、印象的なことがある。
そこには制御しきれていない何かが見える。
その感覚にグルーヴという言葉は割と近いように思う。
ここで勘違いしてはいけないのは、ラフであれば良い、“正しさ”から外れていれば良いということではない。
写真を始めたばかりの頃に、荒れている写真や偶然性の強い写真に惹かれるのはよくあることだろう。
整いすぎた写真よりも、そういった写真の方が“生っぽく”見える、写真のあるべき姿のように感じられるからだ。
しかし、撮り続けていくと、その感覚も少しずつ変わっていく。
最初はグルーヴのように感じられたラフさは、次第に整理されていく。
そして、その整理された先に、また別のグルーヴのようなものが見えてくる。
ちゃんと整えて撮っているはずなのに、どこか揺れている。
音楽でも、ただ荒々しいだけの演奏をグルーヴとは呼ばないだろう。
グルーヴのある演奏というのは、意図的なものというよりは、自然に溢れ出す揺らぎに近い。
それは決して雑であることではない。
写真を撮り続けていると、ほんの微かにその感覚を抱くことがある。
明確に言語化できるものではない。
しかし、“良い写真”だと感じさせるものの正体は、このあたりに隠れているような気がする。