“誰が決めたのか分からない正しさ”から自由になる

“誰が決めたのか分からない正しさ”から自由になる

「適正露出はどのくらいですか?」

と、聞かれることがある。


カメラが提示した明るさ、

それが答えのように思ってしまうかもしれない。


写真を撮り続けていくと自然に気づくだろう。

適正露出とは、誰かが決めた“正しさ”に過ぎない。

 

カメラが出す“±0”には、

あなたの意図も感情も入らない。

そのとき感じた温度も、匂いも、心の揺らぎも反映されない。

 

露出ひとつで、写真はまったく違う表情を見せる。

 

露出補正を+1にするだけで

光は蒸散し、

陰の輪郭は曖昧に。

 

−1にすれば、

街の音は遠ざかり、

影は境界をもたらす。

 

露出は写真の“性格”を変える。


だから、適正露出という言葉に縛られない方が良い。

それはあなたが見ている世界を“均質”にしようとする。

 

全てを決めるのは、あなただ。

 

写真において露出とは、

技術的な話であると同時に、

「その光をどう感じたか」という、あなたの記憶を反映させるものだ。


日差しが強い昼下がり。

露出計の“正しさ”は、

或いは街を、白く、均一に導こうとするだろう。

 

しかし、その瞬間あなたは、

そこに暗く横たわる何かを見たかもしれない。

それを“適正”に補正する必要は無い。

 

写真における“適正”は、

あなたが決めれば良い。

 

露出を外してはいけないと思うかもしれない。

明るすぎて白飛びしている。

暗すぎて潰れている。

 

「失敗した」と感じるかもしれない。

 

その“外れ”の中にも“世界”を感じられる方がきっと自由だ。

白く飛んだハイライト。

光の記憶。

暗く潰れたシャドウ。

影の重力。


正しさをもとめるより、

感じたままであることで、

写真は“あなた”に近づくだろう。

カメラが示す“±0”は、

“機械の解釈”にすぎない。

 

あなたが、どう感じたか。


その一点だけが、

露出を、世界をさだめる唯一の基準だ。

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