写真家は、美術を知らなければならないのだろうか?
まず個人的な所感。
美術もまた、世界を構成する要素のひとつとして“思い入れる”ことなく見つめるのが写真家の態度としては妥当だと思う。
写真が特別なわけではない。
絵画も、彫刻も、インスタレーションも、映画も、音楽も、
すべて同じ地平、かなり“近い世界”に位置している。
写真家が美術を知っていることは、
自然なことだろう。
私は写真集を見るのも好きだし、
写真展や美術展を見るのも好きだ。
静かな美術館を展示物を見て過ごす時間は、
非常に贅沢だ。
価値を感じるし、シンプルに楽しい。
しかし、同時に思う。
「こんなものを見ている時間があるなら、写真を撮るべきではないか」、と。
でも別に、夜に酒を飲んでいるときに、
「こんなものを見ている時間があるなら、写真を撮るべきではないか」
とは、思わない。
つまりそれは、インプットが刺激になっているということだ。
美術館で作品を見ていると、
自分の身体のどこかが、
わずかに動き出す。
それは、知識の蓄積というより、
むしろ点火に近い。
インプットというのは、受動である。
情報を入れること。
勉強すること。
参照を増やすこと。
あるいは娯楽として。
けれど、もしそれが
“衝動”を生むのだとしたら、
それはアウトプットの一部でもある。
見ることは撮ることの代替とはならない。
しかし、見ることは撮ることの前触れになるかもしれない。