「写真は光」、だろうか?

「写真は光」、だろうか?

「写真は光だ」
一度は耳にする言葉だろう。

光を見る。
光を読む。
良い光を探す。

もちろん、間違っていない。
写真は光がなければ成立しない。

レンズを通った光がフィルムやセンサーに届き、それが像として定着する。
物理的な意味で言えば、写真は間違いなく光である。

ただ、私はこの言葉を聞くたびに少し不思議な気持ちになる。
なぜなら、光がなければ写真にならないのは当然だからだ。
自明のことをそんなにみんなで何度も言わなくたって良いのにな、という感覚かもしれない。

例えば「音楽は空気の振動だ」という言葉はほとんど聞かない。


雨や雲に拡散する柔らかな光。
夕方の斜光。
折り重なる高層ビルの反射光。
繁華街に差し始めた朝の清涼な光。

そういう光には、良い写真の予感があるかもしれない。

特徴的な空気感がそこには出やすい。
魅力的に見える写真が撮れる条件の一つではあるのだろう。

しかし、“良い光”ばかりを気にしてしまうと弊害がある。
それは、それ以外の無数の、わたしたちが気づかないだけで実際には偉大な可能性を秘めた光を、見逃してしまうことだ。

曇りの日がつまらなく感じる、
真昼の平坦な光も面白くない、
蛍光灯の下など論外だ、と思うかもしれない。

しかし、本当は違う。
その中にしか存在しない美しさが必ずある。

曇りの日にしか見えない色、
平坦な光の中にしか生まれないアウトライン、
蛍光灯の下でしか見られない表情。

それは「良い光」と言ってもらえないかもしれない。
しかし、それは紛れなく写真だ。

だから私は「良い光を探そう」と思わない。
光は必然だ。

人間が感知できる“良い光”を信じるよりも、きっと、もっと世界に委ねた方が面白い。
そこに光はあるのだから。

 

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