フィルムで写真を撮る理由は何だろう。
色が良いから。
粒子が美しいから。
ノスタルジーがあるから。
どれも間違いではないのだろう。
しかし、フィルム写真の本質はもう少し別のところにあるかもしれない。
フィルムで写真を撮ることは、光を物質として固定することだ。
レンズを通った光は、フィルムの乳剤に含まれるハロゲン化銀に作用し、化学変化を起こす。
現像を経て像が定着すると、それは単なる情報ではなく、実際にそこに存在する物質になる。
ネガフィルムでもポジフィルムでも構わない。
ある瞬間の光は化学反応を経て、物質としてそこに残る。
この点が、デジタル写真とは違うのだ。
デジタルカメラで、光はセンサーに届く。
センサーは電気信号としてそれを読み取り、最終的にそれはデータとして記録される。
どちらも写真である。
しかし、フィルムでは光が物質になり、デジタルでは光が情報になる。
この違いは、それぞれの写真の有り様を少し別のものにしている。
例えばフィルム写真には、どこか質量を感じる。
多分それは、そこに記録されているものが「情報」ではなく「物質」であるという感覚が影響している。
ネガフィルムは棚の引き出しに入れればそこにあり、光にかざせば像が見える。
物理的に“ある”のだ。
だからフィルムの方が優れている、という話ではない。
写真の価値は、どの媒体で記録されたかで決まるものでもない。
スマートフォンで撮った写真も輝いているし、大判カメラで撮った写真も時に退屈だ。
それでも、光が物質になるというこのプロセスには、写真というメディアの本質の一つが秘められているようにも思う。
写真は、ある瞬間の光を取り出し、それを何らかの形で固定する。
絵画のように人間が描いたものでもなく、文章のように言葉で説明されたものでもない。
光そのものの痕跡を残す。
フィルム写真では、その痕跡が物質として残る。
デジタル写真では、その痕跡が情報として残る。
光が実際の物質として定着しているという感覚は原始的で、魅力的だ。
フィルム写真に惹かれる人が多い理由はこのあたりにあるのだろう。
ちなみに、私は一切フィルムで写真を撮らない。
まず、せっかちなので、結果がすぐに見られないことを許容できない。
そして、言わずもがな一枚を撮るのにかかるコストが莫大だからだ。
それでも、撮りたい人はきっといつまでもフィルムで撮るだろう。
その意思もまた美しい。